コーヒーを買ったよ!

コーヒー、というかインスタントコーヒーの粉を買った。けど習慣がないし、そもそもコーヒー単体にお湯を沸かしてまで飲みたいか? という疑問をいまさらに持ってしまい、長いこと放置してた。
それが変わったのが、コーンフレーク*1のために牛乳を買った時。コーヒー+牛乳で、アイスカフェラテなら、あら不思議。一発でそこそこの味である。普通のコーヒーにもミルクと砂糖を入れたいタイプだし、もうこれからはこれでいいように思う。

そういえばこのブログは、読書ブログなのでした。

新装版 隠し剣孤影抄 (文春文庫)

新装版 隠し剣孤影抄 (文春文庫)

どれも安定した面白さだけれど、道を外れてしまう程の熱情や激情というのが多かった。
これは読み手のタイプにもよるのかも。語り口の好き嫌いが多少あるのかな。
そこは止めようよ、と読んでいて冷静になってしまうと、短編なのに早く終わらないかなという感じである。
短編集の割に、それぞれが物語の起伏的にはあまり差異がなかったことも、飽きにつながる原因だったのかも。
ちなみにこれを買ったのは年が変わる前の鎌倉旅行の帰りである。

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

ラテンアメリカといえばこれでしょ、ってレベルで有名だし、過度な期待というかはずれなし感から入ったのでした。
この本に限らずラテンアメリカ文学には力強さがあると感じてる。それは人物もだし、語り口もだし、物語も。
けれどその割に読んで感じたのは、人は寂しいな、ということなのでした。*2
帯に「愛はだれを救えるだろうか? 孤独という、あの深淵から…」と書いてあって、長く置いていたからずいぶん目に入ったのだけど、「愛があって孤独が救われる」でも「孤独だから愛を求める」でも無いような気がしたので、この愛というのにはずっと疑問を覚えている。
人はどこかしらに寂しさを持っていて、愛もその現れ方の一つということなのでは。
最後の終わり方も、愛が極まったのではなく、寂しさの方がどこか極まってしまったのじゃないかな、と思いました。
追記:愛と同時に寂しさもまた極まった、の方が良いのか。ちょっと言い切れないかな、とは思いました。豚のしっぽはある種の愛の歪み方なのか、とかまぁまだまだ思う部分はアルわけです。

トルコに少し興味がわく、一時間程度の娯楽。そんなに嫌味がなく、絶対大丈夫という安心感があり、結構展開もある上に、なによりおばちゃん主人公というのがかっけー、なのだ。

*1:これも長いこと放置してた。牛乳をわざわざ買うのがめんどくさい

*2:百年の孤独の題名のまま、というわけではない。