コクリコ坂感想

今日、コクリコ坂の話をしたら、なんだかなぁ、という感じになってしまったので書いてみる。
感情的な部分と論理的な部分が離れてしまっていて、自分の中の主観と客観がうまくかみ合っていない、のだろうか。


・女学生が下宿屋を兼業するという事
カルチェラタンはつぶさないことで本当に良かったのか
・あの時代を選んだという事
・兄妹でもいい、のか?
・彼はいったい何者なのか


一点目、女学生が下宿屋を兼業するという事。
まずこのことになんとなく違和感を覚えてしまった。
最初は説明されていないため、まず女学生が朝食を作っているという事しかわからないが、手慣れている様子。テキパキと仕事を行う。降りてくる面々。下宿の朝食と夕食を彼女は作っているらしい。
あとでわかるが母親はアメリカに勉強でも行っている。おばあちゃんは帳簿をみてよくやったと誉めているシーンが出る。妹はぐーすか寝ている。
それを自然な状況だとは思えないのだった。なにせその後彼女は学校で手伝いなどをしたら慌てて夕食を作る羽目になったりしているし、失恋のショックの際にはずいぶんとボロが出たらしい。慌てて夕食を作るとき、妹に買い出しを頼むとおばあさん達とテレビをみていて、だれかがもうすぐでるから嫌だという。
それだけ見ると、よほどの決意があってやっているのかもしれないが、その割には後半は学校行事の方にかかりきりになる。なら流されてやっているのかと見れば、その状況に文句を言ったりする気はないのだろう。
彼女というキャラクターに属性を与えたかった、そんな風に思えたりもする。


次はカルチェラタンを巡る一連の話。この映画の多くを占めているこの話にも、違和感を覚える。
具体的な筋は忘れてしまっているけれど、最初ボロボロの建物に入り、その後主人公はカルチェラタン側からつぶす潰さないの騒動を見ていくことになる。映画を見ている人には、カルチェラタンはつぶすべきではない、という話が中心に飛び込んでくるような形だ。
しかし本当にそうだろうか。主人公は過去を大事にしないやつなんかダメだ、と大声で叫んでいるが、(一部、だったらしいけど)投票ではカルチェラタンをつぶすという意見がが上回っているらしい。大体掃除のシーンだって、危ない場面*1がいくつかあったり、飛び跳ねて底が抜けるシーンなどもあった。そのあたりの現実的なボロさを見ると、潰さない根拠は説得力がいまいちない。
なのにその根拠があたかも万人が認めるべき正義、とでもいうように話されているのは若干の気持ち悪さがある。
実際彼らはヒロインが居なければ、カルチェラタンを守ることはできなかったのではないだろうか。その点、内側にこもるばかりの彼らがヒロインの存在で変わっていくという部分、は素直に良かった。*2



なんであの時代を選んだのだろう、というのは見終わってからずっと思っていて、古い街並みを出したかったから、あの恋愛のため、くらいしか思い浮かばなかったのでした。上を向いて歩こう、もそんなにあっているようには思えなかった。


兄妹でもよかったのだろうか。そこで上を向いてしまったのだろうか。上を向く、というのは現実を見ないという意味なのだろうか。まず兄妹というのがなんかおかしくないか、というのがあるならともかく、自分たちだけで兄弟でもいい、と完結することに違和感がある。
最終的に兄妹じゃなかったからといって、決して無視できる問題じゃないと思う。恋愛のスパイス。


彼はいったいなにものなのか、ということ。彼とはもちろん風間くんのことだ。
毎日ヒロインの上げる旗を見て、旗を揚げ返す彼。
屋根からいきなり飛び降りて、ヒロインの心をつかむ彼。
議論でいきなり注目を集めて突撃する彼。
実はヒロインと兄妹であり、かつ兄妹じゃない彼、

彼について描いている部分が少なかったように思う。そういう人だから、で済ませられることだったのだろうか。それができるから主人公なのだ、と言われても、経緯もなくただ都合のいい人にリアリティを感じられるのだろうか。



あの映画のことを思い返して思ったのは、別にどうでもいいという事だった。芯に響くものはなかった。
古いものも大切にしなければいけない?
愛は素晴らしい?
思いは届く?
何かあったのだろうか。それは伝わっているのだろうか。
疑問である。

*1:手すりが落ちちるとこ

*2:理事長もヒロインを特に見ていた、というのはそういうことだろうか