しかし、勝つためには

人が何かを判断するときは、計算式に当てはめている、なんてことを思う。それで、長さも形式も人によって違っているように思う。


合計が一定以上だったら、の人もいれば、一定以下だったらの人もいて、一定以上が複数あれば、とか、何かと比べて多かったら、とか。
その計算式に使われるのも人によって違っていて、誰か、とか周りの事情だとか、財布の中のお金だとかで値は変わっていく。


夕飯を食べてしばらくしてから、携帯に着信があったのを見つけた。同期からで、その瞬間に麻雀の誘いだろうとなんとなくわかった。今日は同期の飲み会があって、自分は行かなかったけれど、時間的にはそれだろう。そして、自分で考える限り、それ以外に電話をかけてこられるような用事が思い浮かばなかったのだ。
メールを送ってみると、電話がかかってきて、要件は予想通りのものだった。なかなか彼は粘ったけれど、ここから外に出て麻雀に出るというのは自分の中ではありえないことであるし、条件を甘くすることもしなかった。


家に帰ってくるともう、外に出るという選択肢は消え去る。計算式の中で、それが条件に入っているのだろうと思う。それは自分の家に、夜外に出る習慣がなかったという過去とかがあってのことなのだろう。*1
けど、外に出ていて、はっきりと予定を考えていなければ、押し切られていただろう。
自分はまるきり押しに弱い。自分の都合が、計算式に大きな影響を与えないのだ。そんなだから、落ち着いて考えたときと、その場で判断を迫られたとき、それによってとる行動が大きく異なってしまう。


実はその前に、電話をかけてきた彼と麻雀をしたのだ。お酒の場で誘われて、ほいほいついて行ってしまった。麻雀なんて久しぶりで、結構酔っていたから、気持を切り替えるのに時間がかかった。
周りは皆上手だったから、気持を切り替えたときにはすでに、大敗を避けるようなやり方を狙うしかなかった。そもそもがアウェーでもあった。
けど、そこまで人に合わせる必要はなかったのじゃないかとも思う。本当に大敗を避けるためには勝つ必要もあるのだ。ベタオリじゃあ、ただのカモにされるだけである。
実際その日はずいぶんと手痛かった。賭けとして考えれば参加した時点で負ける勝負に近い。


そんなことも、長年積み重なって、自分の判断をあまり信頼しないようにしている。この計算式は、望む答えが先にあって作られる。状況が変わったならそろそろ作り直さないと、もっとひどい失敗をするんじゃないかと思う。

*1:夜中にコンビニに出かける、というのは想像の範囲外だったりする。ずっと外にいる分にはいいのだけれど