乗ること、こぐこと、歩くこと

最近バスで通勤をしています。電車に比べて目線の高さが低いのが印象的。電車でしか通うことをしなかった身としては、線路もないのにしっかりと目的地につくというのも新鮮な気がする。
どちらかというとバスは船に似ているような気がする。運転手に任せて、道路の流れに沿って動いていく。
けど実は、まだまだバスがちゃんと着くということを信じ切れていないのだ。


もともと電車に乗れば大きな町に出やすい場所に住んでいたから、あえてバスを使うこともあまりなかった。家族の人数が多かったから、バスを皆で使うくらいだったら車を出してしまえというくらいだったというのも理由の一つかもしれない。
進学した学校も電車の沿線で近かったし、路線バスを使うのは部活であったりといったくらい。


電車では行きにくい場所に行こうと思ったことがないわけじゃなかった。
しかし学生の自分は、バスを使わずに自分で自転車をこいだり、歩いた方が良いという思考を昔はしていたのだ。バスの200円を惜しんだということも多少あるけれど、バスに慣れてないという食わず嫌いのような理由もあった。


自転車で遠出をするのが一時期好きで、とはいえ目的地はブックオフであったりすることが多かった。100円の本を探したり、立ち読みしたりすることがその頃の休日の過ごし方だったのだ。おかげで電車の沿線と地元の数キロ圏内のブックオフは行き尽くした。
それとは別に川沿いを走ったり、海を目指して走ったり、灯台らしきもの*1をめがけて走ったりした。


同じように歩くのも好きで、学校から家までむやみに歩いたりした。なんだかこういう放浪癖を家族からは心配されていたけれど*2、割と散歩という理由は便利だったのだ。どこに行くかを言わずにすむので。


それで、バスなのだけれど、決定的にバスが嫌いになったことがあって、直接つけるはずの目的地に行くためにバスに乗ったのに、乗り間違えをして三回バスを乗り継ぎ、お金を無駄につかい、遅刻したのだ。バスはいろいろとわかりにくいから、それは本当に変えればいいとおもうよ!


さらに、それ以上嫌いな乗り物があって、それはタクシー。
大学2年の時、通っていた大学の駅にまで行くところで電車が停止。夜の七時くらいで、サークルの同期との飲み会があったのだ。
焦った自分は遠回りして向かおうと某赤い電車に乗った。ここまでは遅延の照明があるので、無料だった。しかし途中、某元編集長が住んでいた駅で降りたのだ。これが間違えだった。彼が自転車で来ているという言葉を聞いて近いと思っていたのだ。
そこからタクシーに乗ったのだけれど、メーターが上がる上がる。その時はなぜかお金を多く持っていて、だからこそタクシーという発想が出てきたのだけれど、あの時の顔の青ざめっぷりは自分でも感じられた。
付いた時には腹立ちと安堵とでやけになってお金を支払った。しかも付いた時には電車は普通に動いていた。

飲み会で遅れた理由を聞かれたけれど、その時はあまりの恥ずかしさに、普通に電車が遅れてきたといってしまった。けど、いつか思い出して嫌になりそうだから、ここで吐き出してしまおう。
あの時こんな大冒険をしていたのである。高い勉強代だったね。

*1:近づいてみるとそれはごみ処理場の煙突だった

*2:携帯も財布も持ち歩かなかった