特殊人物性理論

時々考えるのだけど、特殊な人物をテーマにした小説は、逆説的に普遍性に欠けることになるのですよね。
小説の分野によってはいかにキャラクターを個性的にするか、という所に力を入れているけれど、それはつまりキャラクターの魅力を付けようとするところにあるわけです。

だけど普遍的な人を書こうとする分野の小説で、特殊な人を出してしまうとなかなかに難しくなってしまうんじゅないかな、と思ったりします。


ニシノユキヒコの恋と冒険は、西野幸彦と、彼に関わる女性達のお話です。
女性たちの視点からニシノユキヒコが描かれていくそのやり方は、ありがちな感じではあったけれど、愛とかに関する切り口に面白さを感じます。


しっかし、この話に限ることではないのですが。特殊な人物を出して、それを普遍なものに語るというやり方だと、


特殊も実は普遍だった。普遍の極みが特殊だった。特殊でも普遍を持っている。
もしくは
特殊に振り回されて普遍が際立つ。


という、勝手な分類をしているんですが。
ニシノユキヒコの場合は、変わっていたけれど、普通の人と変わらないものを求めていた。
つまり前者のタイプっぽいけど、
主観を女性にしているので、後者の要素も入ってます。
だから良いとか、そういうわけではなく、そうしないと書けないということだと思う。

それなりに面白いけど、この本で泣く人っているのかな。ニシノユキヒコに共感はできまいて。