とても嫌いな夏なので

夏が嫌い。季節について聞かれたらまずこれを思い出すし、言っている。
汗っかきなので汗が止まらずに嫌だし、寝るのが好きなのに寝苦しくて嫌だ。あんまり寝てないと体調も悪くなって調子も悪い。


ただ、なんとなくだけどそれだけじゃないような気もしてきた。さっきいった嫌いな理由は、ほかの季節にだってあるし、ほかの季節の事はその季節にならないと思い出さない。たとえば今年の春は花粉症がやってきてとてもつらかったけれど、数か月経った今ではほとんど忘れている。
だから夏が嫌、というのは季節が悪いというよりか、今までの経験で感じた嫌な思い出、という事なのかもしれない。
そう考えれば思いつく心当たりはある。


中学・高校と部活をやっていた。体育会系の厳しい部活だ。なんでそれをやっていけたのか、というのは自分自身不思議になる。
記憶力があまりないため、当時の事はぼんやりとしたものになっているが、頭が悪くてその割に小賢しかったのだ。
中学の頃、練習は厳しかったが確かに体を動かすというのは悪くなかった。それに声を出すというのはとてもとてもストレス解消になったのである。
その当時ぼんやりと過ごしていた自分にとっては、未来も過去も、現状も大して気にする対象ではなかった、ような気がする。入ってしまってからは、やめるよりかは維持している方が楽だったし。
練習が終わった後にジュースをおごってもらえることが何回かあった。それくらいのことが個人的にはとても嬉しいことだったのだ。中一当時のお小遣いは千円であり、それに関係するかもしれないけれど、お金には意地汚かった中学生だった。


当時の部活の練習場所は外だった。当たり前と思われるかもしれないけれど、その後立地条件の都合上(校舎が都心で狭かった)室内に移ったりもしたのだ。
そうして練習が終わった後に校庭で寝そべって空を見上げたりするのも、そういえば割と好きだったのだ。
しかし、それは夏にも環境は変わらないわけで、かなりつらい。夏は特に合宿もあったりして、そこは苦痛でしかない。ただ合宿まで来てしまったら乗り越えるしかなく、乗り越えたら休みだったので…… 
結局続けられた理由というのはやめるタイミングがなく、行動力もなく、どうにかしようという思考力もなかったからなのかもしれない。高校くらいにはそれなりに考え始めたけれど、中高一貫で、正直やめづらかった。


そんなわけで、夏の大半を苦痛の中で過ごす。部活をしている間は苦しいわけだけれど、苦しいからやめたい、とつながることはなかった。別に克己心があるとかそういうわけではなく、ただ頭が悪いだけである。なにせやっている間は、やめたいと考えたから、苦しいことが終わるわけでないため、気を紛らわしたりしていたりした。それでいて部活が終わったらすっかり頭から抜け落ちているのである。


夏休みの途中に合宿があり、それが終わったら部活は二学期になるまで休みになる。こうなればしめたもので、一日中本を読んでたりとかごろごろ寝たりだとかしていた。この夏休みの後半はあっという間に過ぎてしまう。親戚の家に行ったりもするし、宿題もある。


自分にとっての夏はそんな感じだった。数年間夏と苦痛がセットになっていた経験を考えれば、夏が嫌いになるのも当然ではないだろうか。
しかしまぁ、生まれ変わったとしたらあの部活には絶対に入らないだろうけど、思い出してみればいい思い出もある気がしてきた。
嫌いっぱなしと言うのも辛いし、もう少し嫌わずに付き合ってやろうじゃないかとも思う。その代り、もう少し暑さを抑え目にしてくれてもいいんじゃないだろうか? 自分からの切なる願いである。