とりとめもなく

 いろいろと思い悩みながら過ごしてきましたが、最近になって三年生と言うのを意識する毎日。
 才能なんて無いのだから、もっと長い目で見て書いていくべきだと思った。言い訳っぽいけれど、案外精一杯やってるのですよ。高校時代もなんだかんだで形になったのは五、六年だもの。気楽に行きましょう。


 最近思いついたのだけれど、自分の小説が女性一人称が多いのは、歌に原因があるのかもしれない。
 女性ボーカルの歌を聞くことが多いのだけど、そうなると自然に女性主観の言葉で歌がながれるというわけです。発想をそこに依ると、女性主観になるのではないかな、という気になった。少し意識してみるかなと思う。


 個人的に「まずいラーメンを、これがこの店の味だからというのは間違っている」と言う表現を結構気に入っていたりする。批評はいつも自分に帰ってくるのは怖いけど、でも思ってしまったものは仕方ないのだ。
 自分が嫌いって思ったことを嫌いと言えないと、好きなものを好きって言う資格がないと思う。というのは何の話で読んだのだったか。まぁそんな感じの気持ちは持っているけど、目の前に立っている人に嫌いと言うのはきついよねぇ。


 今回サークルで出した作品は、自分では納得いってないところもあり、まともに向き合えない気持だったのだけど。
 読んでくれた人が、二人だけど、面白いと言ってくれました。(お世辞と言う線は消せないけど)
 だから自分も少し信じたいのです。


 物語の現実性なんてどうでもいいのです。それを本物と思えるか、なのです。ホラーが一番分かりやすい。ありえない、けど、という所が肝要なのだと思うのです。
SFだってファンタジーだって、現実にありえるかもと思わせてから物語が始まるのです。本当に現実的じゃない小説は、つまり人の想像の限りありえない? 


舌鋒鋭いと日常会話で使ったら、通じなかった。そりゃそうか。